”変わりつづけるから” ~ほんのついでの 植田真梨恵論
変わらないとこがあって 嬉しくなるのは
変わりつづけるから
―――――――――――― 植田真梨恵「スペクタクル」
今日、帰り道にふと口ずさんだ一節。
口に出した瞬間に涙が出そうになってしまった。
そもそもなんでこの歌が頭に浮かんだのか、と言えば。
昨日、帰省中に届いた、植田真梨恵ファンクラブ会報をやっと読むことができた。
そのなかのハコニワー(植田真梨恵ファンクラブ箱庭の会員)からまりえちゃんへ、インディーズ10周年お祝いメッセージの欄で、
この「スペクタクル」についてのことを思い出と共に書かれている方がいてね、それのせいだと思う。共感して。頭に残っていたのね。
それにしても、いい歌詞じゃないですか?ストレートでさ。
植田真梨恵の魅力は、「痛みや悲しみに寄り添う歌」を歌ってくれることだと思っている。自論です。それを感情むき出しで歌うから大好きで。
この悲しみや痛みっていうのは、まったく、特別じゃないの。
誰でも、日常で、生きていたら。なんとなく悩んだり、胸がきゅっとするような痛み。悲しみ。例えば、さみしい、とか。わたし普通だわ、とか。うまくやれないな、とか。
話しがずれたけど、この一節は、そんなののなかの、生きていて「変わること」が、良いことなんだけど、痛くて苦しいんだって。
わたしの胸に刺さったんですね。
特に、変わることを拒みながら、変わらなければいけない、そんなものを大切にしたいと願うわたしには。
そして、先日、ふるさとに帰省していたわたしには。
時が過ぎれば変わるし、成長も変わることと同じ。いいことなんですよね。
わたしも、変わりたかった。だから飛び出した。そして、変わったと思う。変えてもらったと思う。もっと変わらなきゃいけないと思う。
でも、変わって欲しくないこともある。大好きなものとか。
変わっちゃっていたんですね、家族が。目に見えて変わるとこもあれば、もっと感じたとこがあって。そんなに大変なことではないんだけど。
まあ、そんな個人的なことありながらね、わたしの夢とか、遠く離れた状況とかさらに変わっていくこわさとか、いろんなことに想い馳せていたんでしょうか。いまもうるうるしちゃってる。
ところで、前述のファンクラブ会報の回答はと言いますとね、
就活でうまくいかなかったところを「スペクタクル」に救われたっておはなしでした。
身近過ぎるなあ。
いまこれにふと気づいたのは、わたしに必要なものだったからでしょうね。
ナタリーさんの、まりえちゃんがリリースする際のインタビューみっけ。
刺さった答えがありました。
本当にめまぐるしく毎日が変化する中で揉まれていたんですよ。そういう時期に、それでも信じるしかないなと思って書き始めた曲なので、ポツポツと言葉をつづるような感覚で作り始めました。
自分の中で余裕がないときはいろいろと手放してしまいたくなるんですけど、そうではなくて、とにかく変化を受け入れて進んでいくしかないとふと思ったときに、やっと前向きなテンションになって曲が書けましたね。
そりゃあ刺さるよねえ。いやあ植田真梨恵の人生論、大好きなんだよなあ。
全部引用したくなった。いけない。気になったら読んでほしいなあ。
みなさんも聞いてね。
あの一節はわたしが植田真梨恵のうたう歌詞のなかでも、トップスリーにはいるくらい好きなものなんだけれど、
「スペクタクル」、ぜんぶがドストレートで、刺さるから。
ポジティブなメロディーにのせて、自分の痛み、歌ってくれるから。
荒野のなか、爽快な青空を歩く。旅人のようなPV。
まりえちゃんは、いつも、旗を振って、わたしを導いてくれるんですね。ついていきます。